プロフィール

〈幼少期🐤〉

兵庫県宝塚市で幼少期を過ごし、小学4年生の時に伊丹市に引っ越しました。

母の希望で、当時は4歳から入会できたヤマハ音楽教室の幼児科に一才下の3歳で入会し、エレクトーンのレッスンがスタートしました。

人見知りで知らない人が苦手だったのでお教室になかなか入れなかったり、家での練習では指が思うように動かずいつも泣きながら練習していて苦い思い出の部分もありますが、テキストの挿絵をみながら付属のレコードを聞いて自由に想像することで、音楽の楽しさを感じていたことを覚えています。

〈恩師との出会い😅〉

年長からはピアノの個人レッスンに変わるも、先生のご事情で二人の先生とは短いお付き合いとなりました。小学2年生の夏休み明けから父の友人でもあった先生に習い始め、音大受験までお世話になりました。その先生に習い始め、先生と一緒に弾くと「楽しい!」と初めて感じたことを覚えています。けれど、練習習慣もなく、練習嫌いで、夏のコンクールは予選に通過したい気持ちと、通過したくない気持ちが混在していて、あまりいい結果は出せない小学生時代でした。

唯一「良かったなぁ」と心から思える思い出は、小学4年生のときに“夢のコンチェルト”で関西フィルハーモニー管弦楽団と共演できたことです。

オーディションでは、初めて間近で聴く生のオーケストラの音にただただ圧倒されて、自分の演奏の記憶はまったく残っていません。けれども運よく合格し、出演の機会をいただくことができました。

何度かリハーサルを重ねるうちに、少しずつ周りの音に耳を傾ける余裕が生まれ、「音楽を合わせる楽しさ」や「一緒に音をつくる喜び」を感じられるようになっていきました。本番では、緊張しながらもオーケストラと一体になって音を奏でる時間に、とても特別なものを感じました。あの頃は、うまく言葉にすることはできませんでしたが、今思えばあの胸が高鳴るような体験が、私の音楽の原点だったんだと思います。

〈音大に向けて🤓〉

中学生になってからは、ベートーベンの構成の魅力に気がつき練習するようになっていきました。

もともと小学2年生でレッスンが再スタートした時、父から「大阪音大の短大に行ってピアノの先生になれ」と決められていました。その頃は短大、大学の意味も分からなかったけれど「勉強するよりはいいか」というくらいにしか思っていませんでした。

中学生になって弾く楽しさに気づいてからは、音大のことも意識しながら練習するようになりました。「音大に行け」と言っておきながら、お金は自分でなんとかするようにと言われていたので、奨学金を受けられるようにと、勉強もがんばった中高生でした。

〈ピアノ講師を目指すきっかけ🎹〉

特に高校3年生の時は、堂々とピアノの練習に時間を使えてとても楽しい楽しい受験生時代でした。

そんな高校3年生の時、弟の同級生にレッスンをすることになり、中学1年生の女の子が私の初めての生徒さんになってくれました。そこで、この子にも自分が楽しいと思っているピアノの楽しさを伝えたいという気持ちが膨らんでいき、自然とピアノの先生になりたいと思うようになりました。

〈音大に入ってから〉

無事に大阪音楽大学短期大学部器楽専攻(ピアノ)に入学しました。中高生時代の努力は実を結び、晴れて光栄にも奨学金をいただけることになりました。

新しい環境に飛び込んだ私は、学びのチャンスを逃さないように、できることから少しずつ挑戦していこうと心に決めていました。目にとまったのが掲示板のアルバイト募集でした。

出張レッスンのアルバイト募集があり、学部生や院生の方も申し込まれていたので、正直半分は諦めていたのですが、ありがたいことにオファーをいただき、年長さんと年少さんの姉妹のレッスンを担当することになりました。

これが、私にとって初めての幼児さんへのレッスンのスタートでした。

また、別のアルバイト先で知り合った大学生からレッスンの依頼を受けるなど、学生時代から継続的にピアノ指導を続けてきました。

さらに、リトミック研究センターの初級・中級・上級の指導資格を取得したり、コンクール会場に足を運んで演奏法を研究したり、自分の先生の教室でリトミックのアシスタントを務めたりと、自分なりにできる限りの学びを積み重ねてきました。

レッスンのほかにもいくつかのアルバイトを掛け持ちしていました。

マクドナルドで早朝アルバイトを終えてから学校に向かい、空き時間には学校の練習室でピアノの練習、 夕方からは家庭教師として、中学2年生の生徒さん3人に英語と数学を教えていました。アルバイトと学業、そしてピアノの練習で毎日体はへとへと。音大生の中では、少し珍しいタイプだったかもしれません。

〈ピアノ講師となって🌟〉

卒業後は、恩師の先生の教室で週3日、ピアノ・リトミック・プレピアノ・アンサンブル・ソルフェージュを指導し始めました。同時に、実家で自分の教室を開き、学生時代から続けていた出張レッスンも数年間継続して行っていました。 自分の先生の指導法、特に幼児さんや、コンクール・音大受験を目指す生徒さんへのレッスンを間近で見学できたことは、今の私の指導の大きな土台・支えとなっています。実家で開講した教室も口コミであっという間に満室となり、1歳から81歳まで、週に80名以上の生徒さんとのレッスンへと広がっていきました。

〈新しい音楽との出会い🌆〉

ある日、バンドマンだった父に連れられて、大阪・北新地にあるお店へ、父の友人の演奏を聴きに行きました。お客様たちは食事やお酒を楽しみながら、ジャズやポップスの生演奏をゆったりと味わっていて、その自由な空気と音楽の楽しみ方に私もすっかり惹きこまれ、気づけばそのお店に通うようになっていました。

それをきっかけにジャズやポピュラーの勉強を始め、コードやアレンジ、クラシックとは違うグルーヴ感や即興性などを学びました。そしてある日、そのお店でライブ共演の機会をいただくことに。

クラシックのようにすべてを準備してステージに立つのとはまったく違い、本番中にいきなり「次はこういこう!」と演奏スタイルが変更され、「えっ、うそでしょ!?」と思いながらも、「やるしかない!」と覚悟を決めて飛び込んだステージでは、心臓が飛び出しそうなくらいの緊張の中に、「これも音楽だな!」という新しい感動がありました。

〈子供路上ライブ🎬〉

そんなライブ感を、お教室の生徒さんたちにも味わってもらいたいと思うようになり、 子どもでもできることはないかと考えて思いついたのが「ピアニカ隊」でした。

もともと発表会ではアンサンブル演奏も取り入れていたこともあり、普段は難しいピアノ曲に取り組んでいる子どもたちが、ピアニカでパートを分担すれば、みんなでかっこいい演奏ができることがわかりました。駅前で路上ライブをし、市の活動の一環である “家庭や家族について改めて考える”というテーマの広報を、音楽でお手伝いしました。

ピアニカを手に、少し緊張しながらも真剣に演奏する子どもたちの姿は、通りかかった人たちの足を止め、あたたかい拍手をたくさんいただきました。「音楽で誰かに何かを届けることができる」

その体験は、子どもたちにとっても大きな自信や達成感につながったようで、演奏後の笑顔と「またやりたい!」という声がとても印象的でした。市の広報に写真入りの記事で掲載してもらえることになり、子どもたちも嬉しさと達成感をより膨らませることができました。

その少し前に流行していたドラマ『のだめカンタービレ』のオープニング曲、ベートーヴェンの交響曲第7番をレパートリーに加えたところ、ある生徒さんが「『のだめファイナル みんなで“ベト7” Road to 武道館』という企画があるから、応募してみたい!」と言い出しました。その場にいた他の生徒さんたちもすぐに飛びつき、あっという間に話が広がっていきました。

私も、生徒さんたちにぐいぐいと引っ張られるようなかたちで、エントリーを決めました。

ちょうどその時、私は第一子を妊娠していて、つわりの真っ最中。でも、生徒さんたちは「先生は大丈夫、準備は私たちがやるから!」と声をかけてくれて、「なんていい子たちなんだろう」「お腹の子も、こんなふうに育ってほしいな」と思ったことを今でもよく覚えています。幼稚園から小学生までの生徒さん、約20名が参加し、「選ばれたらみんなで東京ディズニーランドに行くんだ!」と、目をキラキラさせながら練習に励んでいました。残念ながら結果は、一次審査にも通りませんでしたがそれでも子どもたちは「楽しかった!先生ありがとうございました!」と口々に言ってくれました。私自身も、結果以上にそのプロセスの中で、子どもたちが自分の意志で動き、仲間と協力し、音楽を楽しむ姿に、何よりの手応えを感じました。

そんなアンサンブルの活動を続ける中で、子どもたちが路上ライブにもすっかり慣れてきた頃、「ストリートパフォーマンス」という言葉が世間でも注目され始めました。するとまたある生徒さんが、「お祭りのストリートパフォーマンスで演奏してみたい!」と言い出し、すっかり路上での演奏に慣れていた生徒さんたちはスムーズに準備を整え、地域のお祭りで青空の下、のびのびと演奏することができました。

「ただ舞台の上で発表するのではなく、音楽を通して人とつながったり、地域の中で何かを届けたりする」 

そんな経験が、子どもたちの心を大きく育ててくれたように思います。こうした一つひとつの取り組みが、私にとっても「音楽教育とは何か?」を考え続けるきっかけになり、今の教室のスタイルや、生徒さんとの向き合い方につながっています。

これらの経験を通じて、音楽は人と人とをつなぎ、成長のきっかけや人生の彩りになることを、あらためて実感しました。そして今も、音楽を「上手に弾く」こと以上に、「音楽で心を動かし、誰かとつながること」の価値を伝えていきたいと思いながら、日々のレッスンを行っています。

〈お教室再スタート🎹〉

長男が3歳になった時にお教室を閉じ、兵庫県から静岡県に引っ越しました。引っ越し2か月後からは、公園でお友達になった子たちと長男で一緒にリトミックレッスンをすることになりました。

翌年長女が誕生後もリトミックからピアノレッスンに変わっていた子達のレッスンにすぐに復帰し、実家は遠方で助けを得ることはできなかったので、しばらくは赤ちゃんの長女を抱っこしながらレッスンをしていました。

長女が3歳になったとき、娘にもピアノを教えようとしましたが、娘は「ピアノはお兄ちゃんがやるもの」としてインプットされたかのように、本人は全く興味なし。何とかしようと、同じ年の仲良し4人のお友達に協力してもらい、5人でグループレッスンをすることになりました。当初は3か月だけお付き合いをお願いしていたのですが、2か月延長して、お友達はペアで連弾を、娘はソロで発表会に出ることになりました。発表会本番、はじめてのソロ演奏にドキドキしていたのは私の方で、いつもはふざけたり集中せずにミスなく弾くことはない娘が、意外にも冷静に演奏を終え、「あれ…まさかの本番に強いタイプ?」と驚いたのを今でも覚えています。お友達と一緒に楽しみながらレッスンに取り組んだ数ヶ月は、娘にとっても、私にとっても特別な時間になりました。それ以降、娘は自然とピアノに向かうようになり、“ピアノは楽しまなきゃもったいない”という私の想いが、少しだけ届いたように感じました。

娘が年中になった年に開業届を提出し、お教室として再スタートしました。ありがたいことに、お教室はすぐに満室となりました。その春、コロナの影響で市内の小学校が休校となり、私たちの教室も、これまで通りのレッスンが難しい状況に。

〈新しいレッスン📹〉

翌年はベートーヴェンの生誕250周年という節目の年だったので、「何か記念になるようなことを」と思い立ち、第九をドイツ語で歌いながら少しずつ演奏をつなげて、生徒さんたちの演奏動画を一本の作品にまとめる企画を立ち上げました。私にとっては、これが初めての動画編集作業。つたない編集で心苦しい部分もありましたが、みんなで集まってアンサンブルをすることは叶わなかった中で、「一つの作品を、みんなで力を合わせて作り上げる」体験ができたことは、大きな意味のある時間となりました。

「画面越しでも、音楽は心を届けられる」

そんな音楽の力を改めて感じた取り組みになりました。

この経験をきっかけに、動画での発表やオンラインを活用したレッスンなど、新しい形にも前向きに取り組めるようになりました。

そこで次に取り組んだのが、オンライン練習会です。

夏休みには「オンライン一斉練習会」を開催し、おうちではなかなか一人で練習が続かない…というお悩みのある保護者様からも、毎年ご好評をいただいています。

〈ストリートピアノ🎡〉

ストリートピアノというものが流行り始めた頃、わが子は「恥ずかしいからイヤ」と言って、なかなか弾こうとしませんでした。生徒さんたちからも、「見かけても弾く勇気が出ない」という声が多く聞かれたため、思い切って「みんなでストリートピアノデビュー」を企画することにしました。

富士川楽座の4階「展望ラウンジ」には、ストリートピアノが設置されており、雄大な富士山を背景に演奏することができます。カフェも併設されていて、飲み物を片手にゆったりと演奏を聴くことができ、さらに、子どもに人気の体験館「どんぶら」や、観覧車、プラネタリウムなどもあり、ピアノを弾いたあとは、みんなで遊ぶのも楽しみのひとつになりました。そんなワクワクする一日を目指して、生徒さんたちは勇気を出してストリートピアノに初挑戦しました。最初は緊張で足がすくんでいた子も、仲間が次々と演奏する姿に背中を押され、少しずつ「やってみようかな…」という気持ちになっていきました。まわりをお教室の関係者が囲んでいたため、結果的にはいつもの発表会に近い雰囲気ではありましたが、それでも、場所が変われば緊張感もひと味違います。そんな中、参加した9名全員が、見事にストリートピアノデビューを果たしました!それ以降は、「ストリートピアノ弾いてきたよ!」と写真や動画を送ってくれる子が増え、ストリートピアノのハードルがぐっと低くなったようです。今では、生徒さん自身が「ここにストリートピアノあったよ!」と報告してくれたり、旅先での演奏を目標に練習を頑張ったりと、音楽がより自由に、生活の中に広がっていく様子が見られるようになりました。

この経験もまた、“音楽を届ける楽しさ”や“人とつながる喜び”を実感する、貴重なきっかけとなりました。

〈同窓会🍽️〉

コロナも落ち着いた頃、兵庫に帰省した際に、かつての生徒さんたちと同窓会を開くことになりました。私は、当時のイベントのアルバムを持参し、すっかり大人になった生徒さんたちと一緒にページをめくりながら、思い出話に花を咲かせました。昔のデジカメで撮った写真を引き伸ばして印刷したものだったので画質もあまり良くなく、「今なら簡単に写真や動画で記録に残せるのになあ」と思ったのです。インスタはやったことがなかったのですが、「これなら今通ってくれている生徒さんたちの成長を、将来も見返せる形で残してあげられるかもしれない」

そんな思いから、インスタグラムを始めることにしました。

レッスンに入ると撮影のことをすっかり忘れてしまうことも多いのですが、今通ってくれている生徒さんたちが大きくなったときに

「あの頃こんなことができたんだな」

「みんなと一緒にがんばってたな」

と、温かい気持ちで思い出してもらえるような、小さな宝箱のような場所にできたらいいなと思っています。演奏だけでなく、ちょっとした日常や笑顔の瞬間も残していけたらと、少しずつですが記録を続けています。教室のインスタは、そんな“未来へのアルバム”として、これからも生徒さん一人ひとりの歩みを大切に見守りながら、育てていきたいと思っています。

〈育児とレッスン👪〉

二人の育児をしながらのレッスンはとても大変でしたが、私自身レッスンが楽しくて、子供たちに教えてあげるというよりも、子供たちと一緒に楽しませてもらっているという感覚で、私にとってはレッスンがリフレッシュできる時間でした。

育児のための本を読んで得た知識が実際の毎日の子育て経験と結びついていき、子供が生まれる前のレッスンでは気が付けなかった事にも目をむけられるようになりました。

発達障害やグレーゾーンについても学び、子供たち一人ひとりの感じ方や反応の違いを尊重することの大切さを実感しています。

育児をするようになってからのレッスンでは、発表会やコンクールなどのイベントのためのレッスンではなく、一回一回のレッスンの楽しさにより重きを置くようになりました。

私が生徒さん達を、私が思い描くゴールに導くのではなく、その子が進みたいと思う方向やペースを大切にしながら、「できた!」という喜びを積み重ねていけるレッスンを心がけています。

≪生徒さんの成長≫

①小6の春、お教室をうつってきたNちゃん

頭がよくて指もよくまわる子で、入会4か月後、初めてのコンクールに挑戦し銅賞受賞。

高校2年生の時、バレーボール部と両立しながら「このコンクールが終わったらピアノを辞める」と言って出場したコンクールで金賞をとり、本選までがんばってから退会しました。

高校3年生の夏休み終わり頃に連絡があり、「部活を引退して勉強だけするなんて無理。またピアノを弾きたい。」と。それから再スタートし、見事に難関大学に合格し、大学時代も好きな曲を弾いてピアノを楽しんでいました。

②年長から習い始めたT君

飽きっぽい性格で続くか分からないと聞いていたけれど、毎年の発表会の曲は親子で一生懸命に探されて、がんばって取り組まれていました。お母さんも関わりの距離感がとてもお上手で、つかず離れずのとてもいいバランスを保っておられました。現在4年生になった彼は、友達から〇〇の曲を弾いた動画を送ってと言われるピアノ少年になっています。

③2歳でリトミックを始め、3歳からピアノレッスンをはじめたT君

悲しそうな曲を弾くと「その曲涙が出ちゃうからやめて」とか「その曲きれいすぎて涙が出ちゃう」と言う涙もろい男の子でした。

コロナ前まではピティナコンペティションの予選も通過しがんばっていました。中3になった現在、彼はサッカー部レギュラーでサッカーメインの生活の中、ピアノは好きな時に好きな曲を弾いたり、友達からのリクエスト曲を弾いたり、お気に入りのショパンを弾いたりと無理のないペースで楽しんでいます。引退後の夏休みには「少しずつでも英雄ポロネーズを練習する!」と。受験勉強の息抜きに自然とピアノを弾こうとする彼の成長が、何より嬉しく感じられた瞬間でした。


≪活動≫

発表会、クリスマス会、子供たちによる老人ホーム訪問コンサート、オーケストラを聴きに行こう!、パイプオルガン体験、子供たちによるピアニカ隊を結成し路上ライブ、

お祭りのストリートパフォーマンス、伊丹市だんらんホリデーPR活動、熊本マリさんによる公開レッスンに二人の生徒さんが選ばれる、岩手県大船渡保育園にエールを届けよう、ショッピングモールでフラッシュモブ、みんなでストリートピアノ初デビュー など


≪メディア≫

・伊丹市広報 記事掲載

・毎日放送 取材


≪生徒生徒さんのコンクール入賞実績≫

グレンツェンピアノコンクール 金賞、銀賞、銅賞、優秀賞、準優勝

バスティンコンクール 優秀賞

ブルグミュラーコンクール 優秀賞

ピティナピアノコンクール予選 支部賞、優秀賞、奨励賞

ピティナピアノコンクール本選 奨励賞

兵庫県学生ピアノコンクール 金賞、銀賞、銅賞

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